夜行列車の思い出

 時代は変わった。寝台列車という言葉を聞いて反応する世代はどれぐらいいるのだろうか。鉄道が好きな人間でないと夜行列車の意味自体理解されない可能性がある。

かつて新幹線が無かったころの移動手段として、遠隔地へ移動するには夜行列車に寝台を設けた列車が最適であり、旧国鉄(現JR)もその需要に応じて列車を設定し、日本全国を縦横無尽に走らせていた。

時代が昭和から平成、平成から令和と時代が進むにつれ、夜行列車はその数を減らしてきた。新幹線の開業、航空業界との競争激化、バス、自家用車といった移動手段の多様化が進み、寝台列車はあっという間に廃止が進んでしまった。

令和の時代に現存する唯一の定期夜行列車は「サンライズ瀬戸、出雲」のみである。2020年現在、夜行列車は臨時列車としてプレミアム商品化され、JR九州「ななつ星」、JR西日本の「トワイライトエクスプレス瑞風」に「ウエストエクスプレス銀河」JR東日本の「TRAIN SUITE 四季島」と今までの寝台列車の概念を覆す。豪華寝台列車として進化を遂げた。

電気機関車とその青い車体から「ブルートレイン」と呼ばれる客車を牽引する列車は今はもう走っていない。筆者はJR線を利用している為、朝方ホームに行けば重低音を唸らせ、夜明けの街を夜行列車が走り抜けていた光景が日常だった。

その列車は今はもう走っていないと思うと、自ら年を取ったと思うと同時に、時の残酷さを感じる。寝台列車の廃止が進んでいた平成末期には、仕事や帰省をターゲットにした列車は少ないように思えた。

それもそのはず、新幹線、飛行機、自家用車が普及すれば、時間を追い求める日本人はそちらを選択する。わざわざ時間をかけて夜行列車を選択して乗る必要が無くなってしまったのは納得がいく。

 近年は移動手段より、旅情を誘う鉄道としての価値が高かったのかもしれない。夜行列車はそれぞれの地方から季節の便りを運ぶ役割があった。北国の厳しい雪に撒かれ、床下機器にあふれんばかりの雪をつけながら一所懸命走り抜け、冬の訪れと厳しさを身を呈して証明してきた。九州からは桜前線の上昇を知らせるように桜の花びらを東京に運び、一足早い春の訪れを知らせる。夜行列車は旅情があふれるのも理解できる。

夜行列車は需要が見込みにくい。需要が少なくなりつつある中で運行出来ていたのは、JRの良心だったのかもしれない。

筆者も夜行列車には30数年の人生の中で一度しかない。たった一度しかなくても今でも脳裏に焼き付いている。

夜行列車は突然に

あれは十余前、まだ私が中学生の頃だった。そのころ関西の祖父母宅に毎年帰省しているのだが、夏の帰省で父が「今度夜行列車にのってみるか」と突然言い出した。

「夜行列車」鉄道マニア程のマニアでもなかったが、時刻表を見れば朝晩の早朝に並ぶ寝台列車の数々。これは一体どこに行くのだろうか?そんなことを思いながら時刻表を読むだけでその列車名を見るだけでワクワクしていた。

「北斗星」「あけぼの」「カシオペア」「北陸」「富士、はやぶさ」「出雲」「銀河」「さくら」「能登」「日本海」「きたぐに」「トワイライトエクスプレス」当時の時刻表を読むだけでもこのぐらい寝台特急や急行列車の名前があったように記憶している。

そんなあこがれの夜行列車に乗れるなんて、大チャンスだった。私は「乗ろう」とすかさず父の誘いに乗ったのだ。

そして帰省当日、夜行列車に乗れることをひたすら楽しみにしていた私は仕事帰りの父親と合流し、電車に乗り込んだ。

「これから夜行列車に乗れる」その頃の私は中学3年生、反抗期らしい反抗期もなかった。もう来年には高校生で、どんどん大人に近づいてくる途中だった。そんな私が幼い子供の様にワクワクしながら今日を待ち望んでした。

都心へ向かう電車に乗ると人はまばらであった。反対のベッドタウンに向かう電車は、仕事帰りのサラリーマンで満員。

地元の公立中学に通っていた私は、通勤電車に乗ることはない。あの満員電車は不思議な光景だった。来年からその満員電車に乗ることになるともいざ知らず。列車は都心へ向かう。

東京駅に到着。時刻は22時を過ぎたあたりだ。普段であればもう風呂に入って家でくつろいでいるころ、今日は着替え鞄片手に東京駅を歩いている。東京駅はこんな時間にも関わらず人と夏の熱気で溢れていた。

滅多に来ることのない、東京駅の大きさと人の多さに圧倒された。夜間の移動は、非日常体験であった。普段なら家で夜更かしすれば両親に怒られ、翌朝の学校に影響が出る。今日はそんな夜更かしも全く問題ないのだ。

父親とコンビニに行く「なんか食うか?」と言われ、おにぎりとお茶と歯磨き用の歯ブラシを手に入れた。こんな時間におにぎりを購入するなど、先に大阪入りしていた母親がこの場に居合わせていたらなんというのだろうか?

東京駅の連絡通路にはそれぞれの方面へ向かう電車の路線案内が出ている。先ほどまでなんてことはない列車の案内にある表示が出ていた

23:00 寝台急行「銀河」 大 阪 

その文字が見えた瞬間、私はドキドキした。「この列車に乗るんだ。これで大阪に向かうのだ」とこれから始まる日常に少年は目をかがやせていた。あの時刻表で見た電車に乗れるのだと。

ホームへ向かう階段を一段一段上る、するとそこには青色の車体に一つ白線がひかれた客車がホームで静かに発車の時を待ち構えていた。

その客車は、駅の照明の光で車体のやれが浮かぶ。整備士になってからわかったのだが、使い古されれば使い古されるほど車体がやれているのだ。使い古されてもまだ走り続けるその車体は職人の貫禄があった。

父から渡された切符を見ると、そこには東京⇒大阪◯号車◯下段とかかれた「寝台券」の文字。大阪は明朝7時着、これから長い旅が始まろうとしていると妙に冷静さを取り戻した私は中学3年生に戻っていた。

その車体はドアを開き、駅で待っていた客を受け入れていく。私たちもその電車に乗り込む。寝台車であるから座席は無い、ベットが座席を兼ねている。

夏のホームは電車から放つ熱と湿気で独特な匂いがする。それを一気に無かったことにする独特な車内の匂いがする。冷房が効きすぎている車内は寒い。

乗り込む乗客は皆帰省や、ビジネス客と様々だ。それもそう、この列車は東京と大阪を結ぶ東海道本線を走る寝台急行。当時は新幹線や飛行機より早い大阪入りをすることができたため高い需要があったのだ。

指定された寝台に到着する。二段ベッドになり我々は下段、上段には人は来ることはなかった。早速車内を散策することにした。トイレに洗面台が付いていて、数時間を過ごすには快適と感じた。

しかし車両は国鉄時代に作られたもの、あちらこちらにやれもきている。高級ホテルのような豪華装備でもない。少し黄ばんだ白色と銀色の内装から質素な作りた。

その質素さの中に、確かな仕事をこなす品質の強さが表れていた。その車体は頼れる存在なのは確かだった。

時刻は23時、発車合図とともに大阪へ向けて列車のドアが閉まる

いざ大阪へ

「ドン!」「ガタン!」

急な衝撃と共に列車は静かに動き始めた。電気機関車の牽引は「動力集中方式」と呼ばれ、電車の様にそれぞれの車両にモーターや動力を有していない。そのため機関車が全ての動力源である。

その為、客車は機関車の動作に全てを委ねる為、衝撃が起きやすい。しかしこれもまた心地よい衝撃なのだ。

通勤電車の様に俊敏な加速ができない寝台急行は、ゆっくりと東京駅を出発。

出発後暫くして、車掌のアナウンスが入る。定刻通りの発車であること、途中停車駅を発車後は車内を消灯する等と、普段聞きなれない放送が続く。そして停車駅の到着時刻の案内をもって放送が終わる。

スピードが一定の速度に乗ってきたころに、多摩川を通り過ぎ列車は神奈川県に入る。まだ23時過ぎであるから駅には通勤客であふれかえっているのが見えた。大人になってから感じるのだが、駅に夜行が止まっていると羨ましく感じたのを思い出した。

「私もその列車に乗ってどこかに行ってしまいたい」後にも先にも夜行に乗る経験はこの時しかないのだが、ターミナル駅で見かけると切符を購入してこのままこの列車に身を委ねてどこかに行ってしまおうかと足が動き出すが、翌日も仕事であることを思い出し、足を止めるのだった。

列車の中で先ほど買ってきたおにぎりを食べる。なんてことはないおにぎりなのに、この日はやたらうまく感じた。夜行列車のエッセンスが混ざっているのだろうか?ただのツナサラダ味なはずのに。父親は普段飲まないビールを飲んでいる。夜行列車がもたらす見えない価値を感じた瞬間だった。

やがて列車は神奈川の小田原駅を超えたあたりだろうか、車内が暗くされた。まるで親に就寝しろと言われんばかりの薄暗くなった車内、窓ガラスの向こう側には民家の明かりがぽつぽつと星粒の様に光っている。

歯磨きをするために洗面台に行く、列車はひたすら勢いを止めることなく走り続けていた。車体の端にある洗面台とトイレは、走行音で静かとは言えない。

電車の中で歯磨き、不思議な行為と当時は思ったものだ。洗面台で口をゆすぎ、寝台のベットに腰掛け寝間着に着替える。なぜ父親はいきなり寝台に乗ろうといったのだろうか?いまでも不思議あったが、おそらく父親もこういう旅が好きだったからこそ、息子と一度は旅をしたかったのかもしれない。

私も子供が生まれたらきっと一緒に夜行に乗れればいいなと、執筆しながら思っている。その時までに夜行列車という言葉が死語になっていないことを祈るしかない。

寝間着に着替えて、横になるが案の定寝れない。さてどうしたものかと思うがとにかく目を閉じる。ガタゴトと車内は心地よい、ゆりかごの様に揺れる。たまに踏切の音が一瞬だけ聞こえてくる。動く客車で寝る行為は、なんとも不思議な感覚であった。

中学3年生などの考え事など、たかが知れている。好きな人の事、勉強の事、ゲームのことなどどうしようもない事ばかり考えている。もしこれが今大人になってこの列車に乗っていたらスマホをいじりながら物思いにふけるのだろうか?

当時はガラケーが主流、パケット放題等もない時代。メールするのにもお金がかかる時代である。そんなに携帯もいじらず、ひたすら目をつむり考え事ばかりしていたように思う。

列車は静岡県あたりに入ったころだろうか?時刻は深夜1時頃、通過する駅の照明も落とされ暗闇をひたすら大阪に向かい走り続ける。東海道本線は日本の大幹線であるから、この時間でも貨物列車とのすれ違いが非常に多い。道中ひたすら貨物列車とのすれ違いであった。

とある駅に停車するが、ドア扱いはない。俗にいう「運転停車」と呼ばれるものでダイヤ表記も通過扱いになっている。旅客の乗り降りはしないのだが運転士を交代する為と聞いている。その為に停車しているが駅は薄暗く、誰もホームにいなかった。

暫く停車した後に列車は発車する。また衝撃音の後、鈍い加速と共に速度を徐々に上げていく。しばらくしてからだろうか、興奮も落ち着き眠りに就いた。

朝焼けの綺麗さ

目が覚めた。眠りが浅いわけではないが、トイレを済ませる為に一度席を後にする。父親はいびきをかきながら寝ていた。列車は走り続けていた。どこにいるのかもわからないが、ただ一つわかったことは夜明けであった。名古屋駅を過ぎて岐阜県に入ったあたりだったように思う。

車窓から見る朝焼けの美しさは一生忘れないと思う。大阪へ歩みを進める列車から見かけたあの景色は目に焼き付いている。こんなに美しい景色を見れるとは思あわなかった。夏の朝は日の出が早い、4時を過ぎれば明るくなってくる。

トイレで用を足した後、座席に戻るが既に目がさえてしまった。あんなにきれいな朝焼け、カメラにとって収めておけばよかったと後悔。車内はまだ静かであり、列車はどんどん大阪へ向かっている。

これが夜行列車の醍醐味なのだ。非日常の体験がすべてここに詰まっている。すっかり寝付けなくなってしまった私は車窓を楽しむことにした。すっかり明るくなり、列車じゃ米原辺りを走行していると車掌からの放送が流れる。

「おはようございます、寝台急行銀河は定刻通りに走行中です。次の停車駅は大津に止まります。お忘れ物の無いようご準備願います」

いよいよ旅も終盤に差し掛かり、大阪が近づくにつれて住宅が増えてきた。すっかり明るくなった車窓から見えたのは通過するホームに人気が戻りはじめ、非日常もいよいよ終盤に近付いてきた。

そして大阪に

飛行機は1時間、新幹線なら2時間半で大阪に行ける時代に、この列車は8時間もかけて大阪に到着するのだ。ここから出張やさらに西を目指す旅客もいるのだろう。車窓を見ていると淀川を渡る。いよいよ旅の終わりが近づいてきた。

「まもなく大阪駅に到着します。定刻通りの到着となります。接続列車は・・・」映画でいうのであればエンディングである。寝間着から私服に着替えて身支度をこなす。自販機で買った水を飲み干す、相変わらず車内の冷房は少し寒いぐらい効きすぎていた。

列車は大阪駅に着いた。閉ざされたドアが開き、大阪の地へ足を降ろす。朝の陽ざしが差し込むホームは、夏の湿気と熱気であふれている。効きすぎた冷房から説き離れた親子二人に湿気と熱気が襲いかかる。ホームに降り立った瞬間から汗が噴き出す。

少しの睡眠時間だった故に若干疲労感がぬぐえないが、この旅路の興奮が疲労感を上回っていた。食事がおにぎりのみだったのか、空腹感がぬぐえず父親に食事したい旨を伝えると駅そばへ向かった。

駅そばで早々に食事を済ませ、祖父母宅へ向かった。

移動中の電車で、夜行列車の思い出を祖父母に話したら喜んでくれるだろうか?思い出という名のお土産をたくさん抱え家路についたのだった。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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