鉄道文化村へ行ってきた

こんばんは!整備士ブロガーtmkです。

今回は群馬県安中市にある碓氷峠鉄道文化村に、行ってまいりました。ここは車でなら上信越道松井田妙義から約10分。鉄道であれば、高崎で乗り換え後35分で信越本線横川駅から徒歩3分の好立地にあります。

碓氷峠鉄道文化村は鉄道好きなら、是非一度は訪れるべきです。その時代を知らなくても、子供も大人も楽しめる要素が詰まっています

施設は広くボリューム満点で、料金はなんと大人500円で入場出来るという良心的な設定です。ここまで見応えがあるのに良いのかと思ってしまうぐらいでした。園内には子供でも楽しめるアトラクションが用意され、家族連れでも楽しめる施設になっています。

碓氷峠鉄道文化村正門より

鉄道文化村の隣では、あの峠の釜飯で有名な「おぎのやドライブイン」があります。そこでは峠の釜飯(横川駅前に本店があり、そこでも購入可)や地元のお土産を買うことが出来ます。腹ごしらえがてら是非立ち寄ってはいかがでしょうか?

たまたま鬼滅の刃とのコラボがなされていたおぎのやドライブイン

碓氷峠の歴史

碓氷峠とは、かつて信越本線の本線であり群馬県の横川~長野県の軽井沢駅にその区間はありました。険しい山々に急こう配かつ片峠であり、(通常は上り頂上到達後に下るのが通常であるが、上り後に平坦になる峠を片峠と指す)標高差は553mかつこう配は66.7‰でした。(1000m登るごとに66.7mも登る計算になります。)

これは、鉄道車両にとって坂道は得意ではない為、それを考えるととても恐ろしい勾配なのです。車輪も鉄、レールも鉄ですので滑りやすいか想像に容易いはずです。

ちなみに、今日本で一番の勾配路線が粘着式(車輪とレールの摩擦に頼る方式を指す)では箱根登山鉄道の80‰です。

その次に信越本線横川〜軽井沢間の66.7‰の急勾配区間だったのです(※今は廃線になった為、飯田線の沢渡~赤城間の40‰だそう)

1888年(明治21年)に馬車鉄道として開業(山越えに2時間以上もかかったそう)。その後、1893年(明治26年)にこの区間はアプト式(車輪の間にある歯車をレールの間に敷かれた歯車の受けと噛み合わせて登る方式)として開業します。まだ非電化であり、電車でもディーゼルカーでもなく蒸気機関車での牽引だったのです。

蒸気機関車での牽引の恐ろしさは、炭を燃やしているため煙が出るのです。その煙が出たままトンネルを通ると運転士はどうなると思いますか?その煙に巻かれて窒息してしまいます。その事故が多発したという区間ですので、今では考えられない、とても危険な環境で鉄道員の方々は働いていたと当時の状況がうかがえます。

そんな窒息事故が多発している状況を鑑み、日本で初めてこの区間の電化が決定し1912年(明治45年)にアプト式はそのまま引き継ぐ形で電化開業するのです。当時の電化開業時は、電気を集めるのに地下鉄でよく採用されている方式であるサードレール方式を採用されており、現代では主流の上部からの給電方式ではなく下部にあるレールから給電する方式でした。

これは、当時の蒸気機関車のサイズで作られたトンネルなどに余裕がなく上部からの給電方式に切り替える工事だけでトンネルのサイズを変えるなどと莫大な資金がかかる為、本線はサードレール方式が採用されています。この電化によって横川駅~軽井沢駅間が約80分かかっていたのが50分を切るほどの時間に短縮することが出来るようになりました。

アプト式レールと線路脇に設置されたサードレール

アプト式のメリットとは、急こう配でも確実な駆動力を伝えることが出来る為であり車輪とレールの摩擦力のみで登ることが出来ない区間に採用されています。このアプト式の方式を採用しているのはかつての旧国鉄(JR)信越本線の横川~軽井沢間と現代の日本では大井川鉄道井川線(アプトいちしろ駅~長島ダム駅間:勾配90‰)でしか現存していません。

しかし、時間短縮が進んでも信州地方と関東地方を結ぶ重要幹線でした。その為、碓氷峠がボトルネックであることには変わりありませんでした。

アプト式の廃止、粘着式による新線開業

新線開業後の横川~軽井沢間の概要

太平洋戦争後、長野と関東を結ぶ重要な幹線として存在していた信越本線はいよいよ輸送力増強に踏み出すのです。それは、新線建設です。粘着運転(レールと車輪の摩擦力による運転)方式が採用され、いよいよアプト式は1963年(昭和38年)に廃止されることが決まりました。そして新線が同年に開業し機関車は碓氷峠専用機の「EF63」が開発されてこの区間の為だけに投入されました。

この区間は専用の対策が施された電車貨車のみが通行することが可能でした。峠を上る時には後ろから押してやり下る時には前で電車を牽引して列車が暴走しないよう電気ブレーキ(車でのエンジンブレーキ)をかけながら慎重に下るのでした。

この新線が開業することにより、この区間は勾配を上るのに17分かかり下りでは24分に短縮することが可能になったのです。

新幹線の開業に伴う廃線

やがてこの交通の難所も新幹線の開業によって解消される日が近づいてくるのです。北陸新幹線の開業(※当時は長野新幹線として先行開業)東京から長野間が開業することが決定されると同時に長く続いた横川軽井沢間の難所の歴史に幕を下ろすことが決まったのです。

存続も求める声も沢山あったようですが、この区間には維持のために膨大なコストがかかるので新幹線に在来線乗客のシェアを奪われることを考えると廃線はやむをえない結果になってしまったのでしょう。

そして1997年9月30日に信越本線:横川~軽井沢間は100年以上続いた難所との戦いに幕を下ろしたのでした。

この区間は廃線によって信越本線は分断されましたが、代わりにバス輸送という形で今も横川軽井沢間を結ぶバスが運行されています。

沿線に残る鉄道史跡

旧国道18号沿い碓氷第三橋梁(アプト時代の旧線)

今でも、かつての難所で使用されてきた設備や廃線跡をところどころ見ることが出来るのも特徴です。実は、碓氷峠鉄道文化村から廃線を利用したハイキングコースを歩くことで写真の橋梁まで到達する事ができるのもこの施設の特徴です。

歩きでは時間がかかってしまいますが、車でもアクセスが可能です。旧国道18号線沿いを通ると有名な「めがね橋(碓氷第三橋梁)」が出現し、駐車スペースに車を止めれば橋の上まで登ることが出来ます。

軽井沢と横川間の中間にある熊野平信号場(新線)

この写真はめがね橋から少し離れたところにある、信越本線(新線)の中間地点にある熊野平信号場と呼ばれるところです。ここでは過去に脱線事故や大規模な崩落が起きた悲しい歴史のある場所でもあるのです。

ここも、立ち入ることが可能です。めがね橋は旧線であり遊歩道に整備されているのに対して、こちらは1997年の廃線以降線路と信号設備や架線がそのまま残っています。今すぐにでも電車が来るんじゃないか?と思ってしまうほど廃線当時のまま線路が残っています。

ちなみに、廃線区間は一部区間を除き閉鎖されていますが年に何回か廃線ウォーク(サイトにつながります)というのも開催されているそうです。

今年の参加は厳しいので来年こそチャレンジしてみようと思います。廃線跡を体験する非日常に興味のある方は是非参加してみてはいかがでしょうか?

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碓氷峠鉄道文化村とは

碓氷峠鉄道文化村(サイトにつながります)はかつて、鉄道の難所であった「碓氷峠」を支えた信越本線の「横川駅」に隣接された横川運転区の跡地を利用して1999年4月18日に開業しました。ここでは、かつて活躍した鉄道車両の展示やシミュレーター体験。かつて「峠のシェルパ」と呼ばれたEF63の運転体験(要予約並びに講習受講)ができる施設なのです。

留置されている国鉄色の189系あさま

さらに、廃線を使用したトロッコ列車も運行されています。文化村から碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」までアクセスすることが可能です

ここでは、信越本線の軽井沢~横川間の廃止による跡地を利用しているので当時、機関車を整備するための修繕の車庫や横川運転区の建物をそのまま利用した館内の資料展示室として活用されているのです。

EF63の整備や検査が行われていた車庫

車庫に入りましたが、EF63が今でも動き出しそうなぐらい機関車が留置されていて、運転台に入れば難所を何往復してきたんだろうというぐらい適度にやつれた運転台がそこにありました。後ろから機関士の方が出てきそうなぐらいそのまま残ってました

EF63の運転が体験できるシミュレーターも設置されていました。1000円ほどかかりますが、2017年から約3年間故障して使用中止だったのがつい最近リニューアルして復活したとのことです。実際の音源を使用しているのと、難しい機関車の操縦ができるとのことでリアリティあふれるそうです。汽笛や、ブレーキ音などは実際に機関車から音が出るので興味のある方は是非乗って体験してみてください!※見学中に汽笛が何度も聞こえてきましたので人気は高いようです

峠のシェルパ EF63
今すぐにでも動かすことが出来そうなEF63の運転台

修繕に使っていた工具などもそのまま展示されていました。この車庫では、展示物に興味津々でした笑 クレーンを吊るワイヤーや、車両を持ち上げるジャッキがそのまま置いてあるのには驚きました。

機関車の整備に使用した工具がそのまま展示されている
整備に使用された旋盤などの機械も当時のまま残されている
車体持上げに使用するリフティングジャッキ操作板
機関車の脇に立っているのがリフティングジャッキ

こうやって、整備士として色々みていくとなかなか一般の方が食いつかないようなところばかり見てしまうのである種の職業病なのかもしれません。

屋外展示場は往年の名車だらけ

車庫の奥には、屋外展示場があります。そこには碓氷峠で活躍した車両や何故か他に碓氷峠とは直接関係のない車両も展示されていました

碓氷峠と直接関連がない古い機関車も勢ぞろい
鬼滅の刃の影響か蒸気機関車はギャラリー多め
展示奥にあさまで使用された189系とEF63が展示

このように屋外展示場も車庫のように様々な電車に触れることができるので、家族連れが多く子供達は興味津々でした。またこの屋外展示場を一周するミニSLにも乗車できるため、ちびっ子も飽きずに楽しめます。

資料館では鉄道資料が多数展示

懐かしの駅弁!

この施設の脇にある鉄道資料館では、碓氷峠の歴史について展示がされています。

  • 1F 模型ジオラマ、お土産、ゲームコーナー
  • 2F 碓氷峠資料館

1Fでは、鉄道ジオラマが展示されており時間になると模型が走り始めます。お土産コーナーは、文化村限定品や鉄道に関係する商品が揃えられています個人的に面白かったのは鉄道標識が売られていたのが印象的でした。我が家に一個購入しようかと思いましたがやめました笑

ゲームコーナーでは、かつてどこのゲームセンターにもあった「電車でGO!」の初代から3の通勤編までプレイできるように揃っていて、どこか懐かしい気持ちになりました(コロナウィルスの関係で一部使用が中止されていますので注意)

当時の制服や貴重な鉄道資料が展示されている

2Fの資料館では実際に横川〜軽井沢間で使用された貴重な資料展示がなされていて鉄道の開業から廃線までを知ることが出来ます。なかなか見ることのできない鉄道の運行資料や実際に業務で使われていた制服や道具が展示されています。

信越本線磯部駅の時刻表 昭和61年11月の改正時の時刻が記されている

往年の信越本線を通る列車はこの難所を超えなければならず、その区間を支えるこの職場は花形であったことがうかがえました。事故無く無事に乗り越えるためには熟練技が必要で、開業以来休むことなく100年以上も鉄道マンたちに支えられて続けてきた特別な場所であることが伝わりました。もはや鉄道員といいながらその道を極めた職人であったんだと感動しました。

そんな難所も1997年の9月30日に惜しくも廃線とは、、残念!現役の時に1度で良いので乗ってみたかったです

最後に

鉄道文化村は、信越本線の難所であった碓氷峠を支え続けた横川運転区の跡地を使用しています。見学すればするほどに職人技なしでは乗り越えられない技術がそこに存在していました。機関車の整備でも急こう配で消耗した部品の取替や点検は見落とし=急こう配での暴走事故を招いてしまう為、相当シビアな環境で整備されていたのはなかったのだろうかと感じました。

新幹線が開業することで、この区間は消滅してしまいました。しかし、ここには100年以上も運行を続けてきた鉄道が存在していたんだと知らしめる設備や車両が展示されています。災害や事故等、様々な苦難を乗り越え碓氷峠が積んできたノウハウは様々な技術に生かされているのです。

ここに足を運ばれる方は、先人たちの苦労に思いをはせてみてはいかがでしょうか?

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!!

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